金剛山の東側の中腹、海抜390mの所に鎮座し、
大和三山を見渡せる景勝地にあります。
銅板葺きの明神鳥居から、103段の長い石段を登り、
神門をくぐると、中央に三間社流造の本殿があり、
応神天皇(誉田別尊)を祭神として祀っています。
その両脇の一間社流造の摂社に天児屋根命(右殿)
と天照大皇神(左殿)が祀られています。
本殿を中心に一段高い基盤上に横一列に並ぶ、
群をなす数少ない社殿の景観を形成しています。
八幡神社は旧村社で、由緒ある古社と思われますが、
式内社ではなく創祀についての文献はあまり残っていません。
一番古い棟札は天正4年(1576年)と在り、
度重なる修復の跡が見られますが、本殿、摂社は安土桃山時代の
建築様式を色濃く伝えております。お社は極彩色に彩られた跡が
残っており、本殿扉の内側には金箔地に鷹が二面、
花が四面の見事な国宝級の日本画が描かれています。
県内には同時代に建立された建物はほとんど
存在せず、貴重な文化遺産で御所市の文化財に指定されています。
此地は、歴史的には古く由緒あり、第十五代応神・第十六代仁徳天皇
(300年後半から400年初)の頃、金剛葛城山東麓は最大の氏族で
あった葛城氏の本拠地として栄えた所であります。
伏見山菩提寺縁起文(享保5年、1721年)に
「・・以小野荘賜於寺封、聖武天皇帝(第四十五代.724年から749年)
於東大寺大仏依御造願特命澄八幡大菩薩歓請於当山令鎮守、
後弘仁3年3月(813年)空海千日参籠、諸願悉満足、・・」
とあり。その後「一千年に垂れる星霜をたて再建せしものと想像す」
との記載が宗教法人設立時の書類に記載があります。
また菩提寺古図(室町時代)に「鎮守八幡之宮」と
「客堂」が現在地に記されており、また石段の中段に「御百度石」
が上段広場に「御千度石」があり、かなり古くから信仰のあった
神社と推定ができます。
境内には、多数の境内社があります。若宮八幡神社・十二社神社
・高良神社・弁財天神社・槌神社・金村神社・聖神社。また、
明治41年(1908年)には朝妻の八幡神社・春日神社。
僧堂の稲荷神社・天照皇大神社。五百家の八幡神社。
林の林神社がここに合祀され、明治44年に村社に指定されています。
小野郷 八幡神社パンフレットより